行かない、という選択。
楽しみにしていた舞台に行くのを断念した。
チケットはある。
予定もあけてある。
自分も元気である。
電車も動いている。
行けるのに、行けなかった。行かなかった。
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誰も悪くない。選択しなければならなかった。
答えが分からない。
昨日、楽しみにしていた舞台があった。
それは2月中旬から3月中旬にかけて行われる舞台の振替公演だった。
3月にもともと行く予定だった公演は中止になってしまい(ちなみに2月は観劇できている)、今後の観劇を諦めていたところ、大学の先輩が仕事があるからと譲ってくれた。
この二ヶ月ほどあまりいいこともなかった私にとって、今日のチケットは暗闇に突如現れた希望の光だった。
僅かな所持金と時間を全て使って学生最後の春休みを現場で埋め尽くす予定だったが、先月からコロナによる怒涛の現場潰しに遭いほぼ全ての予定が飛んだ。楽しみにしてたストのデビューコン静岡も北海道も行けなくなった。仕方ないが泣くしかない。尚且つお金はすぐに返ってくるわけではないのでお金もない。あとは修了式もなければお別れの飲み会も全部キャンセルして、その他にも良くないことが続いてそんなこんなで
なんだか予期せぬドタドタ春休みを送っていた。
大袈裟にきこえるかもしれないけど、譲ってもらえることになった瞬間世界が輝いて見えた。
日々のご褒美なのかもしれない、神様はいるもんだなあとそんなことを思った。
当日着ていく服を毎日考えながらその日を楽しみに生きた。
選択を迫られたのは突然だった。
(無論これは呑気に生きていた私のせいである。)
舞台に行く前日、都内での1日あたりのコロナ感染者が40人以上との発表があった。
「週末の不要不急の外出は控えるように…」
小池知事が会見をしていた。
毎日ニュースは見ていたけど、ロックダウンの可能性がうんたら、オーバーシュートがうんたらとは言われていたけど、
毎日10人台の感染者発表が続いているとなんだか大丈夫なんじゃないか、このまま収まるのではないかと楽観的に捉えていた。
アホな私はこの発表で目が覚めることとなる。
感染者が突然40人を超えて、感染ルートが分からない人が増えている…これはついに恐れていたオーバーシュートになってしまうのではないだろうか、他の国みたいに続いてしまうのではないか、突然怖くなった。
明日の舞台はないな。
会見をきいてそう思った。
都知事が要請している、劇場は東京にある、三密を避けろと言う、劇場は三密の環境に近い気がする、不要不急の外出を避けろと言う、舞台が不要不急に当てはまるかというと悲しいけどそうではない気がする、
すでに危機が迫ってるというのに、それを予防する呼びかけがされているのに、無視することはできないと思った。
要請は週末だけだけど、だからといって
春休みで毎日が休日の学生が、土日は自粛するけど木金は好き放題出歩いていい、というのは違うと思った。
冷静に舞台には行けないと悟ったけど、あれだけ楽しみにしてた舞台である。自分で行かないという選択は出来そうになかった。
まぁ何か反応があるっしょ。そう思って事務所の発表を待つことにした。
朝起きてまず、HPを見た。
何も書かれていなかった。
その日は14時公演と19時公演だったので、まあ12時までにはなにか出るだろうと思っていた。
ちなみに私のチケットは19時公演である。
10時、出ない。
11時、出ない。
12時、出ない。
13時、出ない。
出ない…。これは今日あるな…。
完全に他者に選択を委ねていた身勝手な私は、
ようやく選択が自分自身の問題であることを気づかされる。
遅いんだよ、そう、つくづく自分の判断が遅い。アホだ。
前日の夜から行くべきか行かないべきかなんて、ずっと、ずっと考えてた。
ずっと考えてたけど、公演行きたいから、普通にめちゃくちゃ行きたいから、生きる希望だったから。
だけど、この人類の歴史の大きな出来事として今後語られていきそうなレベルの大きな惨事に直面してるときにわざわざリスクを負うような場所に行くべきではない、と思ってしまった。
公演を行うことを選んでくれたのは本当はすごく嬉しくてありがたいことなのに、
あまり納得できない自分がいた。でも行かないべきだと思っても、自ら行かないという選択は選びたくても選べなかった。それほど行きたかった、だからどこかで中止を願ってた。
だれかがその道を選んでくれたらすんなり諦められたのに。
無責任だけど、現場命の私にとって、
それほど決められない選択だった。
でも、選択しなければならない。
ようやく当事者ということを自覚した私は、
何が最適なのか脳内を整理する。
まず、行きたいか行きたくないか。
それは行きたい、当たり前だ。チケットもある、予定もあいている、自分も元気、電車も動いてる、来ていく服だってハンガーにかけてある。
行きたいに◎をつけよう、いや五重丸くらいつける。
では次に、自分が舞台に行ったとしてどうだろうか。
何事もなくただ楽しんで終えられる超理想な末路がある一方で、
考えたくはないけど何かが起きてしまう末路があり得る。
コロナは正体不明の厄介野郎なので何かが起こってしまう場合をもう少し深く考えてみる。
このとき大きく分けて二つのパターンがあると考えた。
一つは自分がそこで感染してしまう場合。
もう一つは自分が隠れ感染者だった場合。
一つ目の、自分がそこで感染してしまう場合を想定する。
症状が現れるのは感染から5日?1週間程度?と言われているので、私が発症するのは数日後となる。
数日後に自分が異変に気づくかどうかそもそもわからないけど、私は家族と同居しているので、きっと親も感染するだろう。もしかしたら自分は元気かもしれないけど、親は症状がひどいかもしれない。また、親は祖母のサポートで頻繁に祖母に会うので、おそらく祖母も感染してしまう。祖母は私なんかよりはるかに重症化するリスクが高いだろう。
もはや感染ルートが分からなくなってきている今、感染元が舞台とは言えないのかもしれないけど、リスクの高さからきっと舞台に行ったことを後悔してしまうような気がした。
罪悪感を一生抱えていくと思うし、何より3月はじめに別の病気で大切な人を亡くしているのでもう周りで誰かを失いたくないと思った。
次に、自分が感染者だった場合を想定する。
私は今元気だけど、もしかしたら発症していないだけなのかもしれない。先週まで普通に都内に電車で行っていたしどこかで感染してるかもしれない。
演者、スタッフ、運営側が色んな対策をしてくれてることは十分分かっているけれど、だけどいつどこでどんな風に感染が広がるかなんて分からない。気づかないうちに、隣の観客に感染させてしまっているかもしれないし、クラスターを発生させてしまうかもしれない、演者に感染させてしまうかもしれない、
大袈裟かもしれないけど、あり得なくないと思った。
幸いなことに感染者も死者もでなかったとしても、
私が後日発症して感染者だったことが判明した場合、行動記録として舞台に行ったことは知られるしそこでのクラスターが疑われるだろうなと思った。
大好きな演者も、舞台も、自分のせいでコロナの名前とともに世間に広まってしまうのは耐えられないと思った。
…
自分がなるのは構わないかもしれない、けど。
大好きな人、家族の苦しんでいる顔を想像すると、とんでもなくつらくてつらくて、私にその責任は負えないと思った。
大好きだから、だからどうしても傷つけたくない。
もう分かる。
冷静に考えたら、こんなに自分でリスクを感じているのならば普通に行くべきではない。
こんな簡単なことのはずなのに、
公演を生きがいに楽しみにしすぎていた自分は、開催される公演に行かないという選択を選ぶのに半日以上悩んでしまった。
何事もなく無事に終えるという可能性を最後の最後まで信じてしまう自分がいた。
今の自分と、自分のまわりの人の健康状態が、あまりにも普段通りで元気だった。都内ではその前の日とその日で感染者数が倍以上に増えてそれは異常で大変なことなのだけど私の日常はいたって普通に感じてしまう自分がいた。
舞台だっていろんな対策をしてくれていて飛沫感染の可能性だってその辺の電車とか街中に比べたら全然低いかもしれない。そうだと思う。
主催者は幕をあけて待っていてくれる。
色んな対策を練って実行して待っていてくれる。
演者が一生懸命エンターテインメントを全うして素敵な世界をみせてくれる。
主催者がやるという選択をしていたとして、何かあった時、表立って攻められてしまうのは主催者側だと思うし、責任は主催者にあるとされるのかもしれない。
お金を払ってる観客は行く権利があると思うけど、
だけど観客側にその責任が一切ないとは私は全く思えない。
むしろ責任は十分にあると思う。感じざるを得なかった。
公演に行くか、行かないか。
中止にならなかった公演は観客に判断を委ねられたなと私は感じている。
(誤解を招きそうだったので追記:
決して主催者側が悪いという話をしたいのではない。誰かが悪いわけではないので、判断を委ねられたというよりは、それぞれ個人が責任をもった判断をくださなければいけなくなってしまった、と言った方が正しかったかもしれない。)
結局今日になって、今後の舞台の全公演中止が発表された。
悔しい、めちゃくちゃ悔しいけど、
それでもその決断をきいてそれ以上にほっとした。
行くか行かないか、観客に委ねられた選択は想像以上に難しい。
それなら、もう全部中止にしてくれた方が楽だなと思う。中止にしてくれてよかった。
いろんな意見があると思う。
こんだけ得体の知れないウィルスで、呼吸器系だけだと思ってたら嗅覚味覚にも症状がでたりして日々新しい情報が流れてきて。
こんなにわけのわかんないウィルスなんだもん、それは各々が思う意見も感じ方も全く違うと思うし、そこに差が出来てしまうのは仕方ないように感じる。(だからこそ差を埋めていかなければいけない気がするけど)
私は行かないという選択をして、
めちゃくちゃ悔しくてぶっちゃけ泣いた。
一つでも欠けてる客席を演者に見せてしまうのは心苦しかったし、つらかった。純粋に舞台を観たかった。
情報も錯綜してるし、もう、何が正解かなんて分からないけど、この悔しさと引き換えに少しでもリスクが軽減された、と思うことしかできない。でも、決して間違いだったとは思わないから後悔はしていない。
この舞台は、事務所管轄の劇場だからか分からないけど、中止になっても振替を作ってくれたりなんとか公演をやろうと柔軟に(?)対応してくれて、おかげで幾度となる中止と振替公演に振り回されることになってはしまったけれど^^;それでもそれは仕方なかったことだろうなと感じている。いやめちゃくちゃありがたい。本当に本当にありがたかった。てか、こんなよく分からない事態に対する対応なんて、社会も知らない学生がとやかく批評できることではない。
ただ昨日の選択は私にはコクすぎて、それだけは伝えたくて、迷いに迷った人がいるということを空席という形で主催者側に示すことにした。
その思いが伝わってるのかは分からないけど。
ただ、昨日自担のブログを見たら、行けなかった人についても言及されていて、思わずボロボロ泣いてしまった。
そういう人がいたことをそっと包み込んでくれているように思えて、不安だった気持ちが少し溶けてほっとしてしまって、そしたら涙が止まらなかった。
何が正しいかは分からないけど、
そんな時だからこそ、否定せずにひとつの選択を受け入れてもらえるありがたみは大きい。
世界が早く落ち着いたら、
安心して現場にとびまくりたい。
早く、そんな未来がやってきますように。
そして、この舞台、めちゃくちゃ素敵な舞台だったので、いつの日か再演できることを切に願ってます。